今日は一枚も写真を撮ってなくて、
以前撮ったものから載せました。
去年の12月26日に買ったチューリップ。
二日後にはこんなに開きました。
この後も閉じたり開いたりしながら元気でいてくれた彼等。
夫の要望で相当萎れるまでテーブルにいましたが、
もうお別れだねと最後に暖炉に置き、ユージンに戻ったある日、
夫が写真を送ってくれました。
今いい感じになってて、写真を撮ってると。
送ってくれた写真を見て、
物を見る目がこんなにも人によって違うんだと知りました。
私はどうみているんだろうと改めて思った一コマ。
しかも待つって大事だな〜としみじみ。
きっとね、多くのチューリップからしたら、美しい時にとってもらったほうが嬉しいんだろうね。 女性が、一番美しい時の写真を残したいと感じるように。 きっと世界中の人が美しいチューリップを撮ってくれていると思うし、何億枚もの写真があると思う。
ReplyDelete俺の興味は、日々、年月、そういうものを重ねていき、その経験によって出来上がった表情が見たい。 長年漁師をしてきたおじいさんの手の皺のように、言葉を発することなく、笑いもせず、年月を表すものが、何よりも美しいと思い、魅力を感じる。 生きてきた時間、俺が撮っているのは時かもね。 いつも写真を見てくれてありがとう。
時。 チューリップにも彼等が過ごした時間が現れていて、それを撮ったんだね。 美しい最期だった。 ありがとう。 明くんの言葉は明くんの写真をより理解する手がかりになりました。 最期のチューリップ、明くんを通して写されたから美しかったんだと思う。
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